東京高等裁判所 平成2年(ネ)3071号 判決 1991年6月27日
控訴人
長野久
同
株式会社長野建設
右代表者代表取締役
長野正見
右両名訴訟代理人弁護士
田中晴男
同
田中薫
被控訴人
菅沼玄雄
同
菅沼和子
右両名訴訟代理人弁護士
立石雅世
主文
控訴人らの本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
一 控訴人らは、「一 原判決を取り消す。二 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは、控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、以下のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決四枚目裏二行目の冒頭に「本件死因贈与は書面によらない贈与であるから、」を付加し、同五枚目表八行目の「対し、」の次に「昭和五七年六月一一日、」を付加し、同一〇行目の「月二万円で」を「賃料月二万円、期間一〇年の約束で」に改め、同五枚目裏七行目の「昭和五九年一一月」を「昭和五九年一二月」に改める。)。
(控訴人ら)
1 本件死因贈与に至る経緯とその取消しの可否
(一) 本件死因贈与に至る経緯
被控訴人らは、よしのと養子縁組をした後、よしのから金銭を借りたり、単身で暮らしていたよしのに対し、災害時等においてさえ手助けしようとしなかったことから、よしのは、被控訴人らに嫌気がさして縁組解消を思い立った。しかし、被控訴人らが同意しないため、よしのは、離縁の目的を達することはできなかったが、被控訴人らに財産が承継されることを好まず、これを防止するため菅沼道雄から菅沼家の後継者として遇されていた章に対し、本件死因贈与をするに至ったものである。
なお、菅沼孝・よしのの遺産分割調停事件において、章は当初から本件死因贈与の事実を調停委員に対し申し述べている。
(二) 本件死因贈与の書面性
よしのの死因贈与の意思は、乙第七号証の一、二の書面により明確であり、本件死因贈与は書面による贈与と解すべきである。したがって、本件死因贈与を取り消すことはできない。
(三) 死因贈与を相続人が取り消すことの可否
仮に、本件死因贈与が書面による贈与と認められないとしても、本件死因贈与は、以下のとおり、取り消すことができない。
(1) 民法は、死因贈与については遺贈に関する規定に従うと定めている(五五四条)。これは、死因贈与が相続人に帰属すべき財産を相続人に帰属させないという効果を持つ点において、その社会経済的意義が遺贈と同一であることに由来するものである。そして、遺贈は、遺言者が生前にこれを取り消すことは可能であるが、遺贈者の死後は、その相続人が取り消すことを認めていない。これは、相続人にその取消権を認めるならば、遺贈者の意思を無視することになって、遺贈の否定になるからである。死因贈与の場合にも同じことが妥当するから、死因贈与者の相続人が死因贈与者の死後死因贈与を取り消すことは許されないというべきである。
(2) 裁判例は、死因贈与ではない単なる贈与の場合でも、贈与者の相続人が取消権を行使することは、贈与者の意思に反することになるから、信義則上許されないとしている。この考え方は、死因贈与についてはなお一層妥当する。
2 本件建物賃貸借契約の合意解約について
控訴人株式会社長野建設(以下「控訴人会社」という。)は、昭和五九年一二月、よしのとの間で本件建物賃貸借契約を合意解約したが、よしのから、被控訴人らに勝手に本件建物を使用されないよう、その使用を懇願された。そこで、控訴人会社は、昭和六〇年一月一日以降も右建物から荷物を運び出さず、そのまま使用していたものであるが、右時点以降の使用は、賃料を払う必要のない使用貸借契約に基づくものであった。
(被控訴人ら)
1 死因贈与の不存在
以下の諸事実に照らすと、本件死因贈与なるものは存在しない。
すなわち、
(一) よしのの夫菅沼孝は子供がいないまま死亡したため、よしのは、亡夫の近親者の間から養子を迎えることとし、実兄菅沼道雄の三男である被控訴人夫婦を選び、養子縁組をした。そして、縁組後同居はしなかったものの、親しく行き来をして両者は良好な関係を保っていたのである。もっとも、被控訴人菅沼玄雄(以下「被控訴人玄雄」という。)の勤務していた松崎組が昭和五五年に倒産するという出来事があり、そのころ一時よしのは被控訴人らを遠ざけるようになり、よしのから離縁の申込みがされたこともあるが、被控訴人玄雄の長兄菅沼好雄が説得した結果、離縁の話は立ち消えとなっていた。そして、よしのの葬式においては養子である被控訴人玄雄が喪主となって葬儀を挙行したが、親族から特に異議は出なかった。
なお、菅沼孝及びよしのの遺産分割に関しては裁判所で調停がされているが、この調停においては、本件訴訟提起がされるまでは、章側から本件死因贈与の話は出ていなかった。
(二) 死因贈与を裏付けるものとして提出された<証拠>からは、よしのは、菅沼孝から相続する遺産のうち不動産を章に条件付で譲渡したい旨ないし不動産の管理を章に委ねることとしたい旨の意思を表明したということが読み取れるにとどまる。また、<証拠>は、本件訴訟の控訴人代理人の立場にある人物が作成したものであって、信用し難い。
(三) 章は、よしのの亡夫の甥の一人に過ぎないのであって、よしのから全財産を譲渡されるという立場にはない。
2 死因贈与の取消しの可否
(一) 本件死因贈与は書面による贈与ではない。
<証拠>については、前述のとおりであって、前者の記載からは、よしのが全財産を章に死因贈与するという意思は到底読み取れず、後者は、その作成の経緯からして、これをもって本件死因贈与の書面性を云々するのは誤っている。
(二) 書面によらない死因贈与の取消しは可能というべきである。すなわち死因贈与に類似する遺贈の場合は、厳格な方式を要求してその意思を確実ならしめ、他方、そのような方式を履践させることを担保として遺贈者の意思を特に尊重し、その結果、遺贈の効果が相続人の意思いかんにかかわらず貫徹されることになるのに対し、死因贈与の場合には、遺言の方式に関する規定の準用はなく、一般の贈与契約と同様非要式行為であるから、書面によらない、すなわち贈与者の意思が不確実で必ずしも明らかとはいえないような死因贈与については、贈与者のみならず、その地位を承継する相続人もこれを取り消し得るとすることこそ、正に民法五五〇条の立法趣旨に沿うゆえんであるというべきである。
3 本件建物賃貸借の合意解約の不存在
控訴人の原審及び当審における主張の変遷に照らしても、昭和五九年一二月に本件賃貸借契約を合意解約したとの事実が存在しないことは明らかである。
三 証拠関係<省略>。
理由
一原審昭和六三年(ワ)第七七号貸金請求事件について
1 よしのが控訴人長野久(以下「控訴人久」という。)に対し、昭和五六年二月一六日、二五万円を貸し付けたこと、また、よしのが控訴人会社に対し、昭和五七年六月一〇日、三〇〇万円を貸し付けたこと、よしのが昭和六二年二月二三日死亡したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被控訴人らはよしのの相続人であって、二分の一ずつの割合の相続分を有することが認められる。
2 そこで、控訴人らが主張する死因贈与ないし遺贈の存否及びその取消しの可否について判断する。
(一) <証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(1) よしのの夫菅沼孝は、昭和四四年四月一六日死亡したが、両名の間には子供がいなかった。そこで、よしのは、昭和五三年七月二八日亡夫の兄菅沼道雄の三男である被控訴人玄雄夫婦と養子縁組をした。
(2) よしのと被控訴人らとは、同居はしなかったものの、当初は親しく行き来をしていた。しかし、よしのと被控訴人らとは次第に疎遠な関係となり、昭和五七年ころ、よしのから離縁の申し出もされた。そのときは、被控訴人玄雄の長兄が間に入り、離縁の話は立ち消えとなった。以後、よしのの方から積極的に離縁の申出をしたことはなかったし、両者が積極的にいがみあったりはしなかったものの、その関係は疎遠なままであった。
(3) よしのは、章夫婦と連れ立って、昭和六二年二月二〇日、控訴人ら代理人弁護士の事務所を訪れ、同人に対し、自分には養子として被控訴人ら夫婦がいるが、同夫婦には財産をやりたくない、自分の財産は全部章にやる、その代わり章は自分の姪の岩田森代に三〇〇万円をやってほしいとの話をし、それに基づき、右弁護士は、メモを取った(<証拠>)。なお、その場に立ち会っていた章は、この話に特段異を唱えなかった。そして、よしのは、この旨を遺言書に作成しておきたいと申し出たので、右弁護士は公正証書遺言とすることを勧めた。ところが、その日は公正証書遺言を作成するための書類が足らなかったため、後日、書類を追完することとした。
(4) ところが、よしのは、同年二月二三日、交通事故により死亡し、公正証書は作成されるに至らなかった。
以上の事実によると、本件では、民法の定める方式に従って遺言がされた事実はないから、遺贈の事実は認めることができない。もっとも、よしのは、昭和六二年二月二〇日、弁護士事務所において、菅沼章の面前で、死んだら全財産を同人にやる(ただし、三〇〇万円を姪に贈与するという条件付)旨表明し、同人もこれに異を唱えずこれを受諾したと認められるから、ここに両者の間に死因贈与契約が成立したと認めることができる。
(二) そこで次に、右死因贈与契約が民法五五〇条にいう書面によらない贈与に当たるか否かを検討する。
一般に、贈与が書面によってされたというためには、贈与の意思表示自体が書面によってされたこと、又は書面が贈与の直接当事者間において作成され、これに贈与その他の類似の文言が記載されていることは、必ずしも必要でなく、当事者の関与又は了解の下に作成された書面において贈与のあったことを確実に看取し得る程度の記載がされていれば足りるものと解すべきである(最高裁昭和五三年(オ)第八三一号同五三年一一月三〇日第一小法廷判決、民集三二巻八号一六〇一頁参照)。ところで、本件死因贈与についてみれば、これに触れている書面としては、<証拠>(控訴人ら代理人作成のメモ)と<証拠>(控訴人ら代理人作成の陳述書)の書面があるにとどまる。しかし、このうち、前者は、相続関係図が記載されているほか、「不動産は章に、章は善処する。」という記載がされているのみで、この文面からよしのの贈与意思が確実に看取し得るとは到底いえない。また、後者は、控訴人代理人が、よしの死亡後、本件訴訟のために作成した陳述書にすぎず、この書面がよしのの関与ないし了解の下に作成されたものとは到底認められない。したがって、右各書面をもってしては、本件死因贈与を書面による贈与と認めることはできず、結局、本件死因贈与は書面によらない贈与といわざるを得ない。
(三) 次に、書面によらない死因贈与を、贈与者の死後、相続人が取り消すことができるか否かを検討する。
遺贈の場合は、遺贈者の死後、遺贈者の最終意思を尊重し、相続人がこれを取り消すことは認められていない。控訴人らは、死因贈与の場合も、贈与者の意思を尊重すべきであるという点において、遺贈と同様であるから、贈与者の死後、書面によらないというだけで相続人に取消しを認めるべきでないと主張する。
しかしながら、民法五五〇条が書面によらない贈与は取り消すことができると定めたのは、遺贈と異なり厳格な方式の定めがない贈与においては、口頭のような簡単な方法で意思表示ができることから、軽率にこれをして後日後悔する事態も考えられるので、それを防止し、また、書面が残されていないため贈与者の真意が不明確になって後日紛争が起きることが考えられることから、それを防ぐことを目的としたものである。一方、一般に、贈与者が死亡したときは、この取消権は当然その相続人に承継され、相続人において取り消すことができると解されている。むしろ、この贈与者死亡のときこそ、贈与に書面を必要としたことの趣旨がはっきり表れるといえる。すなわち、贈与者死亡後に口約束で贈与があったと主張され、紛争が生じた場合は、死人に口なしで贈与意思の有無を決し難いことが多いのであって、その場合にこそ、相続人は書面によらないことを理由に取消権を行使して、紛争を防止することができるのである。そして、なるほど、死因贈与は、贈与者の死後の財産処分という意味で、遺贈とその果たす役割が共通していることは確かであるが、死因贈与も贈与の一種であって、その方式については遺贈のような厳格な要件が必要とされていないのであるから、前記のような五五〇条の立法趣旨はそのまま妥当するのであって、同条の適用を排斥して死因贈与についてだけ贈与者の死後は相続人が取り消すことができないとする理由はない。
(四) 次に、控訴人らは、本件の取消しは信義則に反し、権利の濫用であると主張するので検討する。
確かに本件で、被控訴人らに取消しを認めることは、被控訴人らの利益になる一方で、同人らに相続させたくないというよしのの意思を無視する結果になることは明らかである。しかしながら、このように、相続人が被相続人の意思を無視して取消権を行使することによって贈与された財産を取り戻し、その結果相続財産の増加という形になることは、死因贈与に限らず、通常の贈与の場合にも多かれ少なかれ生ずる事態であって、このことだけを捉えて直ちに権利の濫用ということはできない。
ところで、本件では、前記認定のように、確かに一時よしのの方から被控訴人らに対し縁組解消の話が出されたものの、その話はすぐ立ち消えとなって、その後はよしのから養子縁組関係を解消したいという積極的な申出もないまま推移していたのであり、また、よしのと被控訴人らとの関係は疎遠になっていたとはいうものの、積極的にいがみあう程のものではなかったのであって、被控訴人には財産をやりたくないというよしのの意思がどのような根拠に基づくものであるのか、どの程度明確かつ強固なものであったのか、今となってははっきりしないところが残るのである。また、本件で提出された全証拠によるも、被控訴人らとよしのとの関係が疎遠になったことの責任が主として被控訴人らにあったという事実も認められない。こうしたことを勘案すると、本件で、死因贈与を民法五五〇条に従って被控訴人らが取り消したことが直ちに、信義則に反し、権利の濫用であると断定することもできない。
(五) また、控訴人らは、本件では履行が終わっているから、書面によらない贈与であるとしても、その取消しはできないと主張するが、この点については、当裁判所も、原判決理由第一の二の4記載のとおり理由がないと判断するので、右記載を引用する。
(六) <証拠>によれば、被控訴人両名は章に対し、本件死因贈与を取り消す旨意思表示をしたことが認められる。
なお、<証拠>の提出は原審口頭弁論再開後にされたが、取消しの主張自体は、原審の第一回目の口頭弁論終結前にされており、この書証の提出を時期に遅れたものとして却下することは相当でない。
3 よって、被控訴人らの本件貸金請求は、いずれも理由がある。
二原審昭和六三年(ワ)第二〇一号賃料請求事件について
1 よしのが控訴人会社に対し、昭和五七年六月一一日、賃料月額二万円、期間一〇年の約束で本件建物を貸し渡したことは当事者間に争いがなく、また、よしのが死亡し、被控訴人ら両名がよしのの相続人としてその相続財産を各二分の一あて相続したこと、よしのが全財産を章に死因贈与したが、相続人である被控訴人両名が右死因贈与を取り消したことは、いずれも前記認定のとおりである。
2 そこで、右賃貸借契約が昭和五九年一二月に合意解約されたか否かについて検討する。
<証拠>並びに<証拠>によれば、控訴人会社代表者が、よしのから本件建物及び周囲の土地を借りて資材置場として利用していたこと、また、渡辺利雄からは、昭和六〇年の一月か二月ころ、御殿場市の土地約一〇〇坪を賃借し、資材置場として使用するようになったこと、右渡辺から土地を借りた後も、よしのが死亡するまでは、荷物を置くなどして本件建物の使用を継続していたこと、本件建物の賃貸借においては敷金が差し入れられていたが、合意解約をしたと主張する時点では特段その清算をしなかったことが認められる。
ところで、控訴人会社代表者は、原審及び当審において、昭和六〇年一月以降も本件建物の使用を継続したのは、よしのから、本件建物を空き家にすると被控訴人らに使用されるおそれがあり困るから、家賃は要らないのでそのまま使用してくれと頼まれ、その依頼に応じただけである旨供述するが、原審における被控訴人玄雄の証言によれば、同人は、昭和五五年八月ころから、昭和六三年九月ころまではダストキーパーという会社でサラリーマンとして勤務していたことが認められるのであって、昭和五九年一二月から昭和六〇年初め頃の時点において、本件建物(鶏舎)が空き家になったからといって同人が積極的にその使用を申し出るという事態は考えにくいこと、前記認定のように、合意解約をしたといいながら、敷金の清算もされていないこと、よしのから借りていたのは建物であったのに対し、渡辺から借りたのは土地であって、渡辺との契約がされたことにより本件建物の使用が不要になったとは直ちにはいい難いこと等の事実に照らすと、控訴人会社代表者の前記供述は直ちに信用し難く、他に合意解約の事実を認めるに足る証拠はない。
3 よって、控訴人会社に対し未払賃料の支払を求める被控訴人らの本訴請求は理由がある。
三以上、被控訴人らの本訴各請求はいずれも理由があり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官大坪丘 裁判官近藤壽邦)